キプロス共和国

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キプロス共和国は、トルコの南の東地中海上に位置する。周りにトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、 エジプトがある。

英語では、Republic of Cyprusと呼ばれる。一般的には、キプロス(Cyprus)と呼ばれるが、北キプロス との対比で、南キプロスとも呼ばれる。

首都: ニコシア
面積: 9,251km2(四国の約半分)
公用語: 現代ギリシャ語、トルコ語
宗教: ギリシャ正教、回教

キプロス共和国(外務省のホームページより)

歴史

ギリシャ、トルコ、エジプトなどの古代文明国に囲まれた場所にあることから、太古から中東、 アフリカ、そしてヨーロッパの交通の要所として重要な位置を占めてきた。地理的な重要性 ゆえに、紀元前にはヒッタイト、アッシリア、エジプト、ギリシャなどに支配された後、 ローマの支配された。ローマ帝国の支配下でキリスト教が伝えられた。ローマ帝国分裂後は、 東ローマ帝国の支配下になる。

1191年、十字軍遠征途上にこの島に立寄ったイングランドの王、リチャード1世によって征服され、 フランク人の支配するキプロス王国が建国された。1470年に相続者が絶えたことから、ヴェネチア 共和国の植民地となる。

1571年にはオスマン・トルコ帝国領となる。エジプトの植民地化を進みていたイギリスはこの島の 戦略的価値に目を付け、1878年、露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便儀を図る代償に キプロス島の統治権を獲得。さらに1914年に勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国が敵対した のを理由に正式に併合した。

第二次世界大戦後、住民から激しい反英闘争が発生し、1960年にイギリスからようやく独立する。 しかし、1963年に憲法の修正が行われ、トルコ系住民の権利が制限されることとなったため、 トルコ系住民が議会を放棄。ギリシャ系住対立が民との間に生まれる。1974年にギリシャ軍事政権 の介入によるクーデターが発生。これをきっかけにトルコがトルコ系住民の保護を理由にキプロス北部へ 派兵し、北キプロスを占領する。1983年にトルコのみが承認するキプロス連邦トルコ系住民共和国 として独立を宣言。現在も南北分断状態にある。

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